沖縄のカルト・怪事件情報

善良な沖縄県民を支配する『闇の勢力』とは?

Category: 屋良朝助

那覇市議補選 屋良朝助氏1万票獲得!

★1万票獲得 那覇市民に感謝!

那覇市議補選開票速報

2014年11月16日 琉球新報

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-234616-storytopic-3.html

那覇市議補選
(選管最終)

当 金城 敏雄 28,995票

新垣 淑豊 26,924票

当 宮城恵美子 52,740票

屋良 朝助 10,093票

永山盛太郎 28,137票


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那覇市会議員選挙、那覇市民1万人が琉球独立を全面に出した屋良朝助を支持。
未来の琉球共和国へ向けての第一歩。

http://www.bekkoame.ne.jp/i/a-001/



※ 私も近くで見てましたよ!


国際通り、てんぶす前  那覇市議会議員選挙 2014.11.15 屋良朝助 街頭演説 琉球独立 沖縄独立 最終演説。独立論。:







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屋良朝助 (かりゆしクラブ)

http://www.bekkoame.ne.jp/i/a-001/index.html



かりゆしクラブ 公式ホームページ  (琉球独立運動資料館)
Kariyushi Club 嘉利吉倶楽部 自主独立 琉球共和国独立運動



屋良朝助、那覇市会議員選挙、街頭演説開始 ! (クリックで動画へ)






琉球文明2万3千年、琉球建国827年。1187年舜天が中山王に即位。

写真は首里城の一部を背景に龍潭の前で演説をする屋良朝助氏 2013.6.21





那覇市議選へ出馬 『沖縄独立論』屋良朝助氏!

http://www.ntt-i.net/kariyushi/shigihosen.html

琉球新報2014年10月28日

市議補選が確定 那覇は4選挙に

 11月16日に投開票の県議補選那覇市区に立候補を予定している那覇市議の山川典二(59)、比嘉瑞己(40)の2氏が27日、安慶田光男議長に辞職願を提出し、受理された。市議会に欠員が出たことで那覇市では16日に知事選と那覇市長選、県議補選、市議補選が行われることが確定した。

市議補選が確定 那覇は4選挙に

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沖縄独立論一筋40年 屋良朝助氏!


※沖縄独立論の第一人者『屋良朝助』氏とは以前某所で一緒に
泡盛を飲んで激論した経験があります。マニアックな私がタジタジに
なる位の好人物!


「なぜ、琉球独立運動をしてきたか」屋良 朝助 (かりゆしクラブ・琉球独立党)


琉球民族の自決権と一国二制度を実現する会主催シンポジウム

統一テーマ「復帰とは何だったか」

2013年5月12日(日)

レジメ

「なぜ、琉球独立運動をしてきたか」

屋良 朝助
(かりゆしクラブ・琉球独立党)

http://www.ntt-i.net/kariyushi/yara_resume.html


「なぜ、琉球独立運動をしてきたか」

屋良 朝助 (かりゆしクラブ・琉球独立党)

 どうも皆さん今日は、屋良朝助です。暑い中、当会最後のシンポジウムにきて頂きましてありがと

うございます。当会のシンポジウムを中心とした活動は沖縄のいろいろな問題を考えるために一定の

役割を果たしたのではないかと思います。

日本復帰とは何だったか

 独立のお話の前に少し復帰の話を致します。結論から言いますと、日本復帰とは皇民化教育の亡霊

だったと思います。

1-キャラウェイ高等弁務官の発言「自治は神話なり、意訳すると琉球が独立するなら自治も獲得で

きますよ」に見られるように終戦後米軍は沖縄を独立させる気があったが沖縄の政治家、先生などの

指導者層がほとんど、皇民化教育の影響を受けた人達だった。皇民化教育は廃止されたが沖縄人にま

だ取り憑いていた。つまり民族的に日本人と思っていた。

戦後、日本が侵略した地域が独立していく中で、本来琉球も民族教育を行い、将来琉球が独立すべき

ところを、師範学校を出た人などが、亡霊に取り憑かれた頭で、またもや日本人教育を行ってしまっ

た。

2-戦後沖縄では指導者が沖縄を独立させる動きもあったが、朝鮮戦争が起き沖縄の米軍基地が強化

され、土地の強制収用などもあった。米軍に反発した人たちは米軍が強大でとても沖縄の独立運動な

どでは勝ち目がないと思った。沖縄は憲法9条がある日本に復帰した方がてっとりばやく人権が守れる

と思った。

3-沖縄内の公務員労働組合、タバコ産業労働組合、電電公社労働組合など、日本復帰すると本土並

みに、自分の給与が上がるということで、復帰運動をした。(その替わり琉球の領土と尖閣諸島、海洋

資源などの莫大な民族利益、利権を琉球政府から日本政府に無条件、つまり無料で引き渡すことにな

る。)

私は以上の3点が日本復帰の状況だったと見ます。現在の沖縄人の国籍が日本なのは事実ですが、民族

も日本人と思っているのがまだかなり多いと思います。

 さて、沖縄県民も参加している日本国は民主主義、多数決の原理に基づいて沖縄に軍事基地を設置

しているわけですから。沖縄県民が日本人という立場では合法的に基地を撤去できません。

基地をどうするかというのは国家の権限です。従って民族自決権に基づいて基地を撤去したければ琉

球の独立しかありません。

沖縄県民が基地を取り囲み基地撤去といくら叫んでも、日米両政府は痛くも痒くもありません。

琉球独立の旗を高く掲げ、米軍基地、自衛隊基地を多くの琉球人が取り囲む時、日米政府の首脳は頭

を抱え夜も眠れなくなるでしょう。沖縄県民に憑依した皇民化教育の亡霊も徐々に消え去るでしょ

う。

琉球独立運動のきっかけ(1969年)

 さて、私の本題に入りますが、私がなぜ琉球独立運動をしてきたかということですが、私が高校生

の時、山里永吉氏の著作に影響を受け、「沖縄人の祖国は琉球国である」というモ衝撃の事実モを知っ

てしまったからです。繰り返しますがモ衝撃の事実モです、なぜ衝撃かといえば、それまで私は私も含

めて沖縄県民は普通の日本人だと思っていたからです。しかし、「普通ではなかった」。

山里永吉氏が強調していたのは、琉球王国時代、尚真王が武器を撤廃し、非武装国家として平和的に

世界と交易し、琉球文化が花開いたというものでした。その影響を受け、私も琉球が非武装国家とし

て独立すべきだと、クラスや学校内で主張したり、日誌などに書いたりしました。これが私のささや

かな琉球独立運動、活動の始まりです。

高校を卒業してしばらく看板屋で働いていましたが、地元の百貨店で募集があったので応募し幸運に

も受かりました。

琉球独立党の党員となる(1971年)

 しばらくその百貨店で働いている頃、世の中が騒然としている復帰1年前、沖縄返還協定も調印さ

れようとしている頃、1971年5月12日の沖縄タイムス、18日の琉球新報に、突然、意見広告

と称し「琉球独立党」結成のよびかけが掲載されました。発起人は、野底武彦、崎間敏勝、などでし

た。

 私はこの意見広告に賛同し結成の呼びかけに応じ、那覇商業高校向かいの沖縄で最初の公認会計士

である野底武彦氏の自宅兼事務所を訪れました。そこには大きな表札に「大琉球監査会社」と書かれ

ていました。

 外のポールと室内には大きめの横130センチぐらいの未来の琉球の国旗が掲げられていました。あ

とでその国旗に名前を付けようということになり、党員が集まって会議をしました。私の提案が受け

入れられ「三星天洋旗」に決まりました。

 野底の風貌と性格はカストロ首相に似ていました。ゲバラに相当する人はいませんでした。

琉球独立党の活動(1971~1978年頃)


 通常はポスター張りをよくやっていました。

野底が考えた琉球独立のスローガン「独立なくして平和なし」「独立なくして自由なし」「独立なく

して権利なし」「独立なくして繁栄なし」などを私がシルクスクリーンの版を作り、紙に手刷りして

いました。全部で1万枚ぐらい作って貼ったのではないかと思います。

 ポスターは野底の車や党員の車を使い、野底と党員が、メリケン粉糊で、電柱や塀などに貼りまし

た。琉球政府の駐車場にある、お偉方の黒い車にも、隙を見て、「よし、今だ、行けっ!」と、ベタ

ベタ貼った。可哀想に、又頭のおかしなあいつらか、という感じで文句はきませんでした。

 後述の機関誌三星天洋にはアイヌ民族への連帯メッセージもあり、宮城賢秀氏などが交流に行きま

したが、交流は発展しませんでした。



*他の活動、

第9回参議院議員通常選挙 崎間敏勝(さきまとしかつ)出馬 1971.6.27

成人式代表演説乗っ取り(屋良朝助) 1972.1.15(別途新聞記事資料と略歴参照)

映画シンポジウム「さらば、幻視の祖国よ!」を催す。1972.1.22

交通方法変更「730=ナナサンマル」反対活動、集会

(琉球独立党主導による730反対実行委員会)1978.7.30 これを最後にしばらく休眠状態に入る。

本の発行

*どうすれば通貨不安は解消できるか 1971.10.1

*機関誌『三星天洋』の発行 1972.8.

*新沖縄独立論 琉球共和国 夢から現実へ 2006.6.27

以上本の内容、詳しくは、かりゆしクラブのホームページにあります(ぜひ資料として読んで頂きた

い)

野底武彦氏が取材を受ける(最近)

(沖縄の政治情勢により琉球独立論に関心が出始める)

*2004年6月に出版された=「沖縄独立」の系譜=の著者、比嘉康文氏の取材を、2003年8月

に受ける。

*2008年9月に出版され、現在ベストセラーになっている「沖縄、 だれにも書かれたくなかった

戦後史」の著者、佐野眞一氏の取材を2005年11月に受ける。この時紛失していた琉球の国旗三

星天洋旗を私が新調し野底に贈呈しました。

*集英社発行月刊PLAYBOY2006年11月号(9月25日発売)沖縄コンフィデンシャルでも

佐野眞一氏の取材記事。

*2006年7月には、ルポライター國貞陽一氏の取材を受け、月刊実話GONナックルズ2006年

10月号(8月30日発売)に、竹中労—野底土南、琉球独立伝として記事が掲載される。

琉球独立党の活動再開。

 2005年8月に私が野底と会ってから、すぐにホームページの制作を開始し、インターネット中

心に情報を集め、活動を開始した。

2006年、鎮魂の6月23日に行動を開始、与那国から、琉球独立を訴えるビラを数人で撒きながら、コザまで北上しました。

東京で6月27日と7月31日に集会を開き、野底の活動を紹介した。「語やびら琉球独立論、竹中

労と琉球独立党の伝説」第一、第二として盛況でした。

2006年11月、沖縄県知事選挙、琉球独立党から35年ぶりに出馬で、TVニュースになりました。


野底武彦氏の琉球独立経済理論

 野底武彦氏は精神論だけではなく、沖縄で最初の公認会計士だけに琉球独立論も琉球の経済収支の

バランスシートで見ていました、専門的な会計用語を使い、数字を羅列しているので取っ付きにくい

ところがあったと思う、しかし、丁寧に読んでいくと、全く学問的で理にかなっています。1972年当

時にすでに琉球独立論は完成されていた。(詳しくは機関誌三星天洋と、どうすれば通貨不安は解消で

きるか、を読んで下さい) 2誌ともかりゆしクラブのホームページにあります。

野底氏は、日本円を使用すると、沖縄県民のお金であっても、預金として銀行に預けたり、何らかの

保険金支払いなどでそれが中央(東京)に回収されると、沖縄の庶民の景気が悪くなると考えていまし

た。

沖縄独自の通貨を発行し沖縄内で資金が回ると経済や投資、生活などが安定、発展すると考えていま

した。

通貨は紙切れなので、本来価値がない、従って金(キン)の裏付けが必要だと考えていました。

野底武彦氏の琉球独立経済理論をわかりやすく応用したもの

現状からの琉球独立論(屋良朝助案の一つ)

 現在沖縄県が日本に納める税金より日本からの地方交付税やいろいろな援助金が多い訳ですが、差

し引き沖縄県が赤字の分を基地使用料(注※個人軍用地代とは別)として日本政府から支払ってもら

います。

 つまり、援助金、交付金の名目を基地使用料に変えて、独立したら払わなくても良い所得税(日本に

支払う税)の分を差し引くだけでバランスシートが成り立ちます。沖縄も日本政府も予算的に損も得も

ありません。沖縄県の名称を琉球共和国に変え、援助金の名目を基地使用料に変えるだけです。日本

の先端的基地を沖縄が引き受ける代わりに日本に基地使用料を支払ってもらうわけです。

 米軍基地や自衛隊基地は現状からスタートします。独立後、観光や石油の開発、その他の経済政策

により徐々に足腰を強くし収入を上げていきます。又、琉球共和国の平和外交により軍事基地も全体

として徐々に減らしていきます。

 あと、通貨やパスポート、琉球共和国か日本国か国籍の選択など細かな実務は公務員に任せましょ

う、特に問題はありません。生活も今と変わりません。


 要するに現状からスタートすれば簡単だと言う事です。この案の良い所は沖縄が自立すればするほ

どその分の基地使用料は減らせる、つまり日本からの資金の流れ(援助)を減らせる事にあります。

従って日本政府としても自立を助ける方向に向かった方が良いと言う事です。

注※新琉球政府の基地使用料は個人の軍用地代とはもちろん別です。民間の個人地代は何の危険性も

ない普通の地代であり、新琉球政府の基地使用料は琉球国として特殊で危険な物、場合によっては核

ミサイルが落ちる可能性があるリスクを引き受ける別次元のものだという事です。

基地使用料が高いというなら基地はすべて即、本土に持っていってもらいましょう。跡地を有効に使

えば今よりも経済的に有利というのは今や実績でほぼ証明されています。


次に国籍の選択方法です

基本的に沖縄に住んでいる沖縄人  →琉球共和国

沖縄に住んでいるヤマトンチュー  →琉球共和国か日本国か選択


ヤマトに住んでいる沖縄人     →琉球共和国か日本国か選択

ヤマトに住んでいるヤマトンチュー →日本国

夫婦が沖縄人とヤマトンチュー   →琉球共和国か日本国か選択

次に通貨交換の順序を説明します。

 仮に琉球の通貨呼称をJINとします。預金とか証券を考えると複雑になるので説明のために現金

中心にします。


 まず琉球国内で流通している日本円の量を確認します。交換レートを1対1として同じ量の琉球J

IN(兌換券)を印刷して琉球中央銀行に準備しておきます。

 次に琉球国内で円とJINを交換して琉球政府の保証のもとに琉球国内でJINを流通させます。

これで琉球中央銀行に外貨として円がストックされます。この円で外国市場から純金を買い入れて琉

球中央銀行の大金庫に厳重に保管します。JIN(兌換券)の流通量=同額の純金。これでJINは

純金に裏付けられ外国に対しても信用されます。


資料

*琉球独立党結成の呼びかけ(新聞記事)

*屋良朝助による1972年那覇市の成人式乗っ取り(新聞記事)

*野底武彦氏を中心に作られた、琉球独立党綱領と独立十訓

*特別プレゼント琉球の紙幣

                             2013年5月12日(日)

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