統一教会の文鮮明は昭和天皇の暗殺を計画していたと語った

右翼が激怒する日本人に見せられない文教祖のヤバイみ言葉(1)

■文教祖は昭和天皇の暗殺を計画していたと語った


統一教会で天皇関連の事件といえば世界日報の副島事件がありました。

世界日報の編集長だった副島嘉和氏が統一教会での秘密儀式で文教祖に久保木会長が天皇の身代わりに拝礼しているという記事を内部暴露掲載しようとしたところ、雑誌の発売直前に帰宅途中、暴漢に路傍で全身をメッタ刺しにされました。
文藝春秋1984年7月号に「これが『統一教会』の秘部だ―世界日報事件で『追放』された側の告発」という手記を発表しようとした直前の出来事でした。

文教祖は天皇のことを本気で自分の下にかしずかせたいと思っていたのでしょうね。
表向きにできないから「秘密儀式」だったんでしょう。
天皇の身代わりに文教祖に拝礼させたというだけでも大騒ぎなのに、「天皇暗殺を計画していた」となったら一体どうなるんでしょうか。

また以前、2012年6月16日に日本統一教会は「天皇改宗論」の思想は当法人の見解でないと公式HPに謝罪記事を掲載しています。なぜ謝罪記事を掲載したかというと統一教会柏教会の教会長M・M氏が「天皇改宗論者」の黒田かんご氏(非教会員)のブログを教会員に推奨・支持していたため、教会長M・M氏も「天皇改宗論者」ではないのかと指摘されたためです。それを否定する内容を教会本部側と地方教会側がHPに掲載したのです。

「統一教会は天皇を改宗しようとしている」という発言や、噂が流れただけでも、このように敏感に謝罪・対応しなければいけないわけです。それだけ日本人にとって「天皇陛下」は特別な存在なのです。

それでは韓国人であり、統一教会創始者の文教祖がもし「天皇を暗殺しようとした」と発言しようものなら日本人はどう反応するでしょうか。

文教祖が併合時、日本留学していたとき皇居の二重橋の爆破や天皇暗殺を計画実行しようとしたと韓国では何度も語っています。
もちろん韓国では親日法があるため日本に好感を持っていても親日派を名乗ることは韓国では不可能ですから、韓国内で生きていこうとすれば「反日・抗日」に徹するしかありません。

そういう意味で単にポーズで「昭和天皇暗殺まで計画した独立運動の闘士」だったと韓国人に対して自慢したのか、過去に実際に独立反日運動に加わっていたかは、資料が少ないのではっきりしませんが、み言葉でははっきりと「裕仁天皇を私が暗殺しようと決心した」と語っていますが・・・・。

昭和天皇暗殺計画の文教祖のみ言葉

『文先生にとって日本の国は最初の怨讐の国でした。日本の(皇居の)二重橋を自分の手で破壊してしまおうと思いました。裕仁天皇を私が暗殺しようと決心したんです。自分の国(韓国)を愛さない人は、世界を愛することができません。』
(第40回真の万物の日のみ言葉 2002年6月11日 清平修練院)

先生は裕仁天皇を二重橋を越えて(皇居に侵入して)殺してしまおうとした地下運動のチャンピオンだったんです。その話は理解できないでしょう。そのような学生時代に日本の婦人たちに無視された場合もたくさんありました。』
(「文鮮明先生み言葉選集」305巻より)

『だから先生の家も3.1運動の代表でした。先生も地下運動をした代表だったんです。韓半島を走る列車の車輪の上で夜を明かし東京と満州の間を行き来しながら連絡を取っていた人だったんです。国(韓国)を愛さない者は神の国を愛することができません。それで(皇居の)二重橋を超えての宮殿(皇居)を自分の手で破壊してしまうと思ったんです。
(「文鮮明先生み言葉選集」306巻より)

『(皇居の)二重橋を破壊するための責任を負われた人が先生だったんです。宮殿(皇居)破壊のための地下運動のリーダーでした。』
(「文鮮明先生み言葉選集」325巻より)

『日本を自分の手で、二重橋を自分の手によって清算(処分)するための責任を任された人です。地下運動の責任者でした。日本の国、怨讐(敵)を自分の手で握り消そうというのです。』
(「文鮮明先生み言葉選集」352巻より)

『あ、そこに日本宣教師たちが来てますね。先生が一番怨讐として思ったのです。日本天皇を私がつかまえて殺そうと工作した人です。裕仁(※ここは呼び捨て)は霊界(あの世)に行っただろう? 地下運動もしてすべてそうだったんです。仲間たちが釜山から北京までスパイ役をしながら、(汽車の)車輪が四つあるのですが、その上に挟まって乗り、国境を出入りするそんな賭けをしながら運動したもんだよ。そんな話はしなかったでしょ? 国を愛せない人が天(神)を愛することはできません。』
(「文鮮明先生み言葉選集」376巻より)

『文先生にとっては日本の国は一番の怨讐の国でした。日本の(皇居の)二重橋を私の手で破壊してしまおうと思いました。裕仁天皇を私が暗殺すると決心したのです。
(「文鮮明先生み言葉選集」381巻より)

日本の国の王宮(皇居)を先生が爆破するための地下運動をした人です。裕仁(※ここは呼び捨て)を怨讐(敵)として自然屈服がだめなら力でもって殴ってでもしよういうことです。上海臨時政府の金九先生を中心として釜山から安東県まで行く愛国運動をする青年たちをどのように行ったのか。車中(客車)に乗れば百発百中捕まります。走る急行列車の四つの車輪の上に入り込んで。何日だったか? そこで十時間以上過ごさなければならないんです。そんな人々と先生が運動したが・・・』
(「文鮮明先生み言葉選集」447巻より)

『(日本を)殴って捕まえるか、どのようにするか。(日本は)怨讐中の怨讐であるために二重橋宮殿(皇居)を私の手で爆破しようとしたのです。裕仁(※ここは呼び捨て)を私の手で処理するのだと思った人です。しかし神様の心情を見る時、怨讐を愛しなさいと言うのです。二重橋の前を通る度に「奴の二重橋がいつ破壊されるか見てろ」と思いました。』
(「文鮮明先生み言葉選集」402巻より)